2007年04月02日

沖縄練乳「ワシミルク」のナゾ【食文化】

沖縄練乳「ワシミルク」のナゾ【食文化】

沖縄のイチゴもやっと安くなってきたので、買った。
久々に練乳をかけて食べようと思って探していたら、
ツレが「沖縄では、練乳ではなくワシミルク」。

そういえばワシのマークの練乳、神戸でも昔そういってた
気がする。
調べたら、ワシミルクは神戸で作られていた。
(ネスレ日本「ネスレイーグル」、現在那覇で販売されている
ものは熊本工場製だった)
ネスレ日本によると、東海以西でしか販売していない商品らしい。
しかも、昔は淡路島の淡路練乳という会社が作っていたという。

沖縄にはいろんな温故知新があって、楽しいね。

と書いていたら、いま、偶然テレビの「お笑いポーポー」DVDの
CMで

「あんた沖縄の人ね」
「ちがいます」
「沖縄の人でしょう」
「ちがいます」
「かき氷に何かけます?」
「ワシミルク」
(笑いがおこる)

というのをやっていた。


赤しまぞうり豊岡出身石垣在住のじゅん探偵は
「へぇ…我が家は特別なものは買わず、砂糖に牛乳かけてました」

うちは牛乳に「ワシミルク」でしたよ。
子供にはたまらん味で、パンとかにもぬって食べてました。


車神戸の「板金屋」探偵は
「神戸に住んでいながら知りませんでした。。ワシミルク
じゅんこさんと同じく砂糖と牛乳をかけてました。

たまに赤いパッケージの練乳(メーカーはわかりません)
をかけていたと思います。

今度ワシミルク買って見ます・・・」

赤いのは森永かな?
あっちはウシのマークだった気がします。
赤い方が目立つので 、ワシの方は地味な存在だったかも。


赤ハイビスカス大阪の七月樹探偵は
「ワシミルク美味しそ〜
大阪にも売ってるかなぁ?」

神戸で作ってるものやから、大阪でも売ってるはず。
愛知より西側で販売らしいよ。
(雪印とか森永は全国販売でしょうね)
けど、砂糖の固まりみたいな甘さやけど。


三線浦添出身で江戸川区在住のバリー探偵は
このまえ沖縄に帰ったとき「お笑いポーポー」のCMの笑いが
分からなかったという。
なんで、ワシミルクって言ったら観客から笑が起きるの?
と不思議がると、名古屋出身の義理姉に
『普通、練乳っていうじゃない!』
といわれ、ようやくわかったそうな。

同じバージョンに
「あんた沖縄の人でしょ」
「ちがいます」
「いや沖縄の人でしょ」
「ちがいます」
「今からどこ行くんですか」
「自練」
(笑いが起こる)
というバージョンもありますね。


パソコン神戸の小田安二郎探偵は
「しかし、そんなとこにもネスレ・・・外資ですか・・・」
と嘆息。

さすが沖縄は、ポーク缶からいまやホテルまで、外資天国です。
沖縄の缶詰文化は、ぼくらが子供だったころの神戸と近い気が
します。
今はコンビーフとか食べんようになりましたが、
昔は焼きビーフンといえばコンビーフを入れてました。
カレーとかも缶詰食べてたなー


パソコン再び小田安二郎探偵
「昭和40年代あたりまで、缶詰はセレブな食べ物のイメージが
田舎育ちの私にはありましたなぁ。
そう言えばコンビーフの正しい食べ方というのが
長い間私の中では謎でしたが、
兵隊の携帯用というのを何かで読んで、
あの美味いのか不味いのか判断しかねる味に納得した
記憶があります。
さらに・・そもそも缶詰はナポレオンが遠征時用に開発させたと
いうのはホンマかな?と、
無理やり社会派な展開にしてしまいました」

ナポレオンやったんですか。コンビーフも子供時代大好きで、
戸棚あけて見つけてはそのままかじってました。
今から考えると、あんな酸化物で油の固まりよう食ってたなー
と青ざめます。


黄ハイビスカス宜野湾市のグリム探偵は
「幼い頃、熱が出たり、はしかになったり、とにかく病気すると
必ず出てきたのがわしミルクでしたよ。
私の年代の人ならだれでも知っているわしミルクの味だと
いっても過言ではないと思う。
元気になれた気がしたから不思議。
昭和20年から30年前半なら病気のとき飲んでいるはず。
今でも好きですよ」

当時の沖縄にとっては大切な食品だったのですね。
ふだんは口にすることのできない・・・
そういわれると、なんだか愛しく思えますね。
たしかに、子供にとっては元気になる味だったですね。
うちにも常備してあって、実家の親は今も使っています。


花笠宮城のかいこ探偵は
「ワシのマークのは、宮城では見かけたことありません
(多分・・)。
牛マークですね。わたしは、砂糖+牛乳が好きです
(イチゴつぶして)。
缶詰は、ナポレオンが開発させたと私も聞いたことあります。
いかがなんでしょう? 」

おっと小田安二郎さん説の裏付け証言ですね。
やはりナポレオンの作品ですか。
ところで、缶詰の正味期限ってどうなんですかね?
ずっと前は製造年月日は刻印してあって、半永久的に
食べられる と思ってたのに、
最近は正味期限が書いてある。
で、このまえ正味期限から4年たったカニ缶を食べたけど、
別にどうもなかったです。


パインアップル浦添市のterup探偵は
「ワシミルク沖縄に来て始めて知りました。
義母もワシミルクは昔からあったと言っていたので
アメリカのものって思っていたけど違うのね。
昔から沖縄と神戸は流通があったんですね。
うちはイチゴには砂糖と牛乳でした」

昭和の沖縄にとって、なくてはならない食品だったのかな。
みんなの情報によって、戦後しばらくの沖縄の家庭の様子が
少しイメージできますね。
沖縄の缶製品はKレーション(沖縄戦時の米軍食糧)の
印象が 強いのかな。
昔、淡路島で作っていた頃も、もしかしたら需要は牛乳事情が
悪かった沖縄向けだったかも。


三線再び浦添出身江戸川区民バリー探偵
「terup435さん、アメリカの物じゃないかなぁ?
神戸は米軍港があったんだっけ?
沖縄はもちろん米軍に接収されていたし」

そうか、占領当初はアメリカ製だったかもね。
そのうち国内でまかなえるようになったのかな。
神戸は、市内中心部にやはり占領地があったようです。
期間は短かったようですが、進駐軍が駐屯し、
そのころは 軍港化していたかも。
うちの家系は貿易商で、アメリカと沖縄の物資に絡んでいた
ようなので、おそらくワシミルクの運び屋をやっていたでしょう。



Posted by We are OKINAWAN-KOBE at 20:36│Comments(4)
この記事へのコメント
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Posted by い at 2009年11月21日 14:11
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Posted by い at 2009年11月21日 14:11
大阪人ですが、50年以上前は紙のモノクロラベルでEagleと全て英語で印刷されていました。途中で「ネッスル」に買収?されNesleの表示が入ったと記憶しています。少なくとも当時は大阪市内ではポピュラーでした。確かに甘く牛乳で割ってイチゴを食べていました。もっとも当時のイチゴは今ほど甘くなかったのでかけて食べると非常に美味でした。スイスのネスレ本社に行った時に聞いてみましたが作っていない、知らないとのこと、米国と日本のローカル限定でしょうか?米国のスーパーでも見かけませんが、、、、
私にとっては忘れられない味でイチゴのシーズンになると思い出しますが、還暦を過ぎて(家族にバカにされながら)ネットで見つけたので買うことにしました。
Posted by Tromso at 2016年04月13日 10:05
スピルバーグプロデュースの映画 太陽の帝国 にて原作者JGバラード役の少年がパラシュートで落とされた物資の中に其れ見付けドライバーで穴開けして直飲みしてましたね。

昔私もやりました

随分昔の話になりますが父が海兵隊員から貰って来たCレーションの中にもワシミルクとカーネーションミルク(コーヒー用の濃縮ミルク)の小型版が入ってました 流石に煙草は味見してません。
Posted by 黒子 沖縄在住 at 2021年01月28日 21:27
 
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沖縄大学山門研究室「沖縄なんぶの樹・菜・食をいかした集客交流とまちづくり」研究班の拠点。今のところ移動体研究室で、那覇市銘苅のnagamine研究室と沖縄大学山門研究室、糸満公設市場西側(糸満協同診療所ウラ)のさかな料理店「あっぴー」(メンバーが今年1月に開店)がラボ。70代から30代まで世代と職種を超えた沖縄南部在住のにーにー、ねーねー10余名が、足元にある宝物を再評価する取り組みを通じて県内外との交流やスモールビジネスに挑戦している。


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