2007年01月26日

沖灘ゆんたくセッションinナダfromナハwith沖縄おでん

1月20日(土)に神戸市灘区・水道筋商店街「Cafe P/S」で行った沖灘ユニット「ユニット久茂地1・17」セッションの記録です。

【18:00】
 開店30分前から店前に行列が。この地域は自分が生まれ育ったエリアで、戦後まもなくに本土との航路が断絶したため帰れなくなった沖縄出身者たちが立ち上げた闇市を発祥とする市場も近くにある。「Cafe P/S」は月1回、沖縄おでんの店「通い船」になるが、阪神淡路大震災の避難所状態を再現して唄おうという本企画にあたり、当時の「あたたかいもののありがたさ」を思い出そうと沖縄おでんが臨時提供された。K子ママとスタッフが腕によりをかけて仕込んだドゥルワカシー、沖縄から持ち込んだターンムの唐上げなども提供された。酒は本日の演じ手の出身地にちなんだものが出された。

【19:00】
 「避難所」となった狭い店内は、30人の「被災者」でごったがえし状態。寒い中、店外にもテーブルを設置し、ストーブにあたりながらの人も。嬉しいことに車イスのお客さんも来ていただいている。ほんとに12年前の今頃の状況が目に浮かぶ。本当にこういう感じだった。車イスの方は、ほんまに大変やったと思う。炊き出しやイベントがあっても、車イスの方は健常者と同じように参加することができない。車イスだけではなく、障がいを持たれている方にとって、震災の何もかもがバリアになった。何とかしてあげたいけど、何もできない自分が歯がゆかった。
 K子ママが研究を重ねて開発した沖縄おでんの「炊き出し」に酒が入り、悲しい震災の中にも心暖まるコミュニケーションがあったことが思い出されるなか、MJ(G)、長嶺暁(1st.S)、おもろまち恵憲(2st.S)、普天間夏子(F)による「満月の夕」でスタート。仕掛人のMJ氏がサビの「やさほーや唄が聞こえる」でアシッドでソウルフルな唸りを見せると、もはや歌声酒場状況に。彼は地元のソウルミュージシャンであり、京阪神のコアなネタで有名な情報誌の編集者だ。(メンバー名は便宜上、ネット&ステージネーム)

※「満月の夕」
 12年前のあの日、消防車や救急車、自動車ライトが交錯するだけの漆黒の闇につつまれた瓦礫の街に、明るく黄色い満月が上がった。この状況を、ボーカルが被災地出身だったソウルフラワーユニオンが唄ったもの。避難所や仮設住宅で唄われたが、被災当事者だった自分たちにとって当時は唄どころではなく、私がこの曲を聞いたのは震災から4年後くらいに沖縄・東村の「満月まつり」でのこと。ヤンバルで思いもかけず神戸の震災の唄に出会って涙した私は、すぐさま神戸に持ち帰り仲間と歌うようになった。
 平安隆がウチナ−グチバージョンでカバーしており、映画「豚の報い」の主題歌になっている。
 「風が吹く港の方から 焼跡を包むようにおどす風
  悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕べ     」

 あの夜、危険で恐ろしい廃虚の街で、夜になっても行き場所がなく彷徨った自分たちを満月が優しく(人によっては冷たく)、昼間のように明るく照らしてくれたことから、1部はこの曲をはじめ月にちなんだ歌をメインにエントリーした。
 参加した人も一緒に歌えるよう、テキストも作って配付。なのでセッションは歌会というより集会の状況に。「ユニット久茂地」の存在意義は、歌を聞かせるというよりみんなで歌う場を作ること。聞かせるだけ力量もなく、一方通行で悦に入ることができないのである。当時「震災から復興へ」で住民が立ち上がるためには連帯や結束が必要となったが、そうした大衆運動として欠かせない音楽を共有、共歌することで当時の心のつながりを再現できればという思いでこの日に臨んだ。
 ここのおでん店名となった、喜納昌永(昌吉の父)の「通い船」もセッション《大阪でマルフクレコードを創業した沖縄県出身の普久原朝喜が、米軍統治となって6年後の昭和26年に神戸〜那覇間に黒潮丸が就航し戦後はじめて本土と沖縄との行き来が可能になったことを喜び、神戸港中突堤で作詞作曲して沖縄で大ヒットした曲。まさに神戸と沖縄をつなぐ架け橋の唄である。
 「嬉し懐かしや 振別りぬ港
  いちまでぃん肝に 染みてぃでむぬ 」

【20:00】
 那覇市県庁前、久茂地公民館5F「まいどでーびる唄三線の会」にて。メンバーたちが神戸灘方向である北東を向いて「月ぬ美しゃ」をサテライトで合奏熱唱。一方、神戸「Cafe P/S」の現場でも、三線2本、笛1本であの日の廃虚を照らした月を思い出しながら「月ぬ美しゃ」を静かに謡う。この日の月齢は1で沈んだ後だったが、黒潮流れる1000キロをまたいだセッションとなった。
 「さやか照る月よ 那覇ん灘ん照らしたぼり 共に声合わし 歌やびら」
(清く安らかな月よ、那覇と灘を暖かく照らしておくれ。私たちが共に声を合わせ、謡うのを見守っておくれ)
 この時のため、沖縄から灘に贈られた琉歌である。

【20:40】
 第2部は、まさに大衆運動としての労働歌でスタート。「聞け万国の労働者」「デモクラシー節〜デカンショ節」をメドレーで、神戸市、兵庫県、そして沖縄県の3自治体の職労代表として役所にお勤めのお客さんたちがハードな三線と笛に合わせ熱唱。ボルテージがますます上がったところで屋嘉圭祐(G)が名古屋から到着。沖縄2ー名古屋1ー灘2のシフト「ユニット久茂地なだたまサミット」となり、参加者の歌声はさらにヒートアップした。
 沖縄から来ていることで、やはり沖縄のポピュラーソングのリクエストで大盛り上がり。ハプニングとアドリブの連続による合唱が続く。「花」では、お客さんが手話を披露、全員が手話と唄を行った。
 
 やがて、灘区在住の小学4年生のカイ君が、両親と一緒に「しあわせ運べるように」を三線、ギター、笛に合わせ熱唱。
 「地震にも負けない 強い大人になって 
  亡くなった方々の分も 毎日を大切に生きていこう 
  傷ついた神戸を もとにもどそう
  支えあう心と明日への 希望を胸に        」
この詞は、震災時に神戸市の小学校の先生が避難所で思いをつづったもの。12月のルミナリエ点灯式でも歌われ、神戸の小学生にとってはソウルナンバーといえる曲だ。

【21:00】
 そんなうちに時間は過ぎ、近隣への配慮もありフィナーレに。震災の年、沖縄から神戸に送られた千羽鶴とともに送られたメモ書きが曲になった「つる」と「満月の夕」を全員で。
 「つるをつなぐたんびに 人が生き返ったら
  どんなにいいだろう
  つるをつなぐたんびに 家が直ってくれたら
  どんなにいいだろう
  つるをつなぐと願いがかなう そんなつるがいたら
  どんなにいいだろう               」
 当時那覇の小学4年生だった「かなこちゃん」が、徹夜で千羽鶴を折った後、何気なくメモ書きしたこの詞に東灘のおっちゃんが曲をつけて避難所をまわって歌った。この詞は避難所や仮設住宅では墨書されて貼られ、人々を励ました。

 あっというまに2時間がたち、エンディング。「西灘口説」「おとん自慢のプリンセスソース」「復興節」「灘酒作歌」「沖縄を返せ」などが次回への持ち越しになり、参加者から残念がられる。酔うほどに歌い、謡うほどに酔うひとときを30人で共有しつつ、夜は賑やかに深けて行った。沖縄と神戸灘の心と心がつながった、心地よい時間は果てしなく続く。
 みんなが仲良く歌うことが、1000キロ離れた沖縄の仲間も心を寄せて歌ってくれることが、6400人の死を無駄にしないことにつながり、生きている自分たちにとっても生き抜く力になることになれば、これほど嬉しいことはないと感じる。
 今回の企画の仕掛人であるMJ氏、スペース提供してくださった「Cafe P/S」のマスター、スタッフとして関わってくれたみなさん、そして「ユニット久茂地なだたまサミット」6番目のシンガー&ミュージシャンである30人のお客さんたちに心より感謝を捧げる。

 灘の達人によるHPで、この日のことが記されたブログが公開されている。筆者はMJ氏。
http://www.nadatama.com/modules/wordpress/index.php/archives/2007/01/21/post-40/

西宮市から来てくれたTさんは
「ドキドキしながら、商店街を抜けると、そこに三線の音がありました。今回のこの内容を読んで、震災のこと思い出しました。沖縄のこと、灘のこと、神戸のこと……そして命の大切さ。深く考えさせられました。あの一夜に遠く離れた沖縄の地からも沢山の思いが発信されてたんですね。素敵な会です。こんな素晴らしい出会いを頂いて、ただただ感謝です」
と思いを寄せてくれた。

1年前に石垣島で出会い、セッション仲間になり名古屋から参加してくれたMさんは
「偶然の出会い。音楽を通して繋がること。 面白いですね〜。人生は。八重山の神様は、空の上から見ておられるのでしょうか。 正月の沖縄&石垣の旅は、ホントに行けて良かったです。 一生忘れられない旅になりました」。

ありがとうございます。



Posted by We are OKINAWAN-KOBE at 03:39│Comments(0)
 
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おきなんまちかどラボ
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沖縄大学山門研究室「沖縄なんぶの樹・菜・食をいかした集客交流とまちづくり」研究班の拠点。今のところ移動体研究室で、那覇市銘苅のnagamine研究室と沖縄大学山門研究室、糸満公設市場西側(糸満協同診療所ウラ)のさかな料理店「あっぴー」(メンバーが今年1月に開店)がラボ。70代から30代まで世代と職種を超えた沖縄南部在住のにーにー、ねーねー10余名が、足元にある宝物を再評価する取り組みを通じて県内外との交流やスモールビジネスに挑戦している。


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★三線・笛・琉球胡弓で楽しむ沖縄民謡クラブをやってます★
●まいどでーびる 島唄の会
毎週土曜日19ー21時、那覇市久茂地公民館(県庁前駅徒歩5分)で、那覇に来られた方が沖縄民謡と接したり沖縄の人と交流できる会を琉球民謡研究所出身の4人で行っています。県内外の沖縄島唄をこよなく愛す仲間達で、会員数は17名(2007年3月2日現在)。 年齢層としては、下は20代から上は70代と幅広いです。三線だけではなく、笛、胡弓も一緒にセッションしています。沖縄本島の古典、民謡、新唄、情け唄、宮古民謡、八重山民謡をバランスよくやっていきます。

・三線をやってみたい、または興味がある。
・三線習っていて一旦止めていたけど、またやってみたい。
・せっかく沖縄に旅行にきたので、三線もさわってみたい。
などの方、気軽にお越しください。
活動日は原則として毎週土曜日夜7時〜9時まで。
問い合せは shimauta_sanshin@yahoo.co.jp 
会費は1回300円。民謡を知らない方でも安波節、安里屋ユンタ、なりやまあやぐなど歌えます。那覇にお越しの際はお立ち寄りを。

また、三線・笛・琉球胡弓(くーちょー)・三板によるアンサンブルで「沖縄民謡生オケ出張」もいたします。
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